兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。
まず、何で「鍋で何を煮ているのか」と聞くのがよく分からない。
今と昔の葬式の仕方が違う。
葬式だって経験したことのない子どもだっている。
わからない。
それにもかかわらず、子どもは一生懸命に考えを出している。
ここは、教師が聞くのではなく、教えるところだと思う。
子どもたちの経験・体験がないところは、教師が細くしてあげないと。
こんな変な(子どもとしては一生懸命だけど)意見が出たら、ちゃんとした授業はできない。
この記事、タイトルが極端すぎる。
今がダメで昔が良かったということでもないと思う。
けれども、言いたいことは分かる。
「子供たちの国語力を守り、育んでいくことは大人の責任」という意見には共感。
子どもと関わる様々な大人たちが、国語力を守り、育んでいくことが大事。
『ごんぎつね』といえば、
コメント