<古墳>日本最大の古墳は「仁徳天皇陵」ではなく「大仙陵古墳」
これは、誰の陵か分からないから、仕方ない。
<古墳>「大和朝廷」ではなく「ヤマト政権」などに
朝廷という言葉が、その当時には当てはまっていないということ。
<飛鳥>聖徳太子の肖像画は偽物。呼び方は「厩戸王」が主流に
聖徳太子信仰もあるので難しい点もある。
<飛鳥>蘇我入鹿が暗殺された事件は「大化の改新」ではなく「乙巳の変」に。「大化の改新」は「事件以降の政治改革」を指すように
中大兄皇子たちが行った改革が「大化の改新」これは納得。
<飛鳥>日本最古の貨幣は「和同開珎」ではなく「富本銭」だけど、鎌倉時代まで日本では中国銭が主流だった
研究が進むと、昔のことが分かってくることもある。
<鎌倉>鎌倉幕府の誕生は「1192年」ではない。最有力は「1185年」
これは、幕府の定義による。
もっとも、頼朝は自分たちのことを鎌倉幕府なんて言っていない。
<鎌倉>『徒然草』の作者は「吉田兼好」ではなく「兼好法師」
北条早雲(伊勢宗端)とか真田幸村(信繁)とか、生前に呼ばれていた名前で名の残していない人物もいる。
<鎌倉>元寇の勝因は“神風”――台風ではなかった。勝因は元軍の「不協和音」と「幕府の武力」
大東亜戦争の影響だろう。
<室町>足利尊氏の肖像画「騎馬武者像」は偽物だった
そういう肖像画もたくさんある。
研究が進めば、分かってくる。
<戦国時代>戦国時代のスタートは、「応仁の乱」ではなく「享徳の乱」
確かにそうだけど、享徳の乱を学校で学習する必要があるか?
<戦国時代>織田信長が掲げた「天下布武」は「室町幕府の再興」のスローガンだった
信長は、学校で習うほど革新的な武将ではないことは確か。
<江戸>キリシタン発見の手法は「踏絵」ではなく「絵踏」
踏絵を使って絵踏をさせるということ。
<江戸>「出島」以外にも「対馬」「松前」「薩摩」などで貿易をおこなっていた
基本、貿易の管理は幕府がしていたということ。
対馬、松前、薩摩など外国に近い藩には、寛容だったということ。
<江戸>士農工商ほど厳しい身分の区別はなかった
士農工商という言葉が、もともとは古代中国の言葉。
学校教育に合わせて、歴史が改変させられている。
学ぶ人たちに分かりやすいように。
細かいことまで教えようとすると、わけがわからなくなる。
大まかな歴史の流れを捉えることができるようになっている。
また、歴史学の進歩の面もある。
だから、いつまでも間違っているものを教科書に載せてはいけないと思う。



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