伊豆の中心で、思いをさけぶ

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カテゴリ: 教育


◆「自律と自由を混同」?
◆制服ルール変更「必要ない」「協議すべき」9割も…
◆ダンス部の活動内容変更「協議なく一方的に…」
◆国会で「子どもたちが受け止められるのか」
◆区教委「特別なことを行っているわけではない」
◆専門家「プロセス不透明」「子どもの権利意識が希薄」


改革で知られた麹町中学校。
校長が変わり、学校も様変わり。
改革時の工藤勇一先生の考え方と現校長の考え方が違うのだろう。
今の校長が行っていることは、他の中学校と比べれば何分変わったことはないのかもしれない。
しかし、全国に名をはせた麹町中学校では、それは違う。
改革の名をもとに集まってきた生徒たちもいよう。
その生徒たち、そして保護者の思いや気持ちをどうするのか?
これは、すごく大変だと思う。

校長の意思を通すには、地域、保護者、生徒に対して説明が必要だろう。
今までの改革で出てきた大きな問題もあると思う。
その問題を提示して、改善するための方策をもっと問いかけるべきだろう。

でも、コロナ禍があり、それまでの教育活動がうまくいかなくなってきたのかもしれない。
現校長は、いろいろと悩まれているのだろう。
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それなりのレベルの高校に通う生徒ならば、自分で調べて理解できます。でも、大半の生徒はそれができないので、宗教や民族や政治を既存のイメージで捉えてしまうでしょう。
これを決めた文科省は本当にアホですね。彼らはハイレベルの高校生しか見ていないんですよ。これは、僕がユーテラの世界史授業動画でも話している「社会ダーウィニズム(社会進化論)」、つまり「知識の高い人間が知識弱者を支配する」構造です。このままでいいんですかね、ホントに……。

これはすごく難しい問題。
高校の学習でどこまでの内容を行うのか?
時間は限られている中で、将来を担う若者が何を学ぶべきなのか?
自分は、世界史も日本史も地理も大好き。
高校の社会の授業は、全て楽しかった。

でも、普通の人からしたら暗記。
大学入試も、無駄に難しい知識を問う難問が出てきていた。
それでは、歴史教育はあかん。
知識だけの学問ではない。

歴史や地理で学んだことを、将来にどう生かすかという視点が大事。
だから、たぶん高校の歴史の学習は変わってきているのだろう。
でも、その流れと入試とは相いれないところがあるのかもしれない。
入試は、合格者を素早く判定するための問題を準備する。
本当は、今まで学んだ歴史を踏まえて、自分なりの意見や考えを問うべきはずだと思う。

歴史教育の内容が問われていると思う。
ただ調べて事実を実証するだけが歴史学ではない。
過去の事実を踏まえて将来に生かそうとすることが、歴史を学ぶ上で大事なのではないだろうか?
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人に仕事を任せること。
自分でやったほうが早くて確実。
任せると教えるのも手間がかかる。
自分の思ったとおりにいかない。

それなら、自分でやるしかない。
他の人に求めても自分のストレスになるだろう。
しかし、自分の忙しさはいつまでたっても減らない。 

人に任せるのは何がいいか?
もちろん、全ては任せられないかもしれない。
あの人には、任せられないというものもあるかもしれない。
任せることができれば、自分の負担が減る。
自分でやるより効率的に上手にできるかもしれない。
継続的にその事業を進めていくのならば、知識や経験の伝達は必須。
何より、任せた人の教育になる。

任せるには、まずはお願いする。
お願いしたから、やってくれたらとりあえず感謝。
できたら褒める。
できなかったら我慢する。
まず、これができなければ、人に物事を任すことはできないだろう。
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無自覚のうちに「ネガティブなところを示すとショックを受けて立ち直れないだろう」「この子にはそんなパワーはないだろう」と子どもの力を低く見積もっているからこそ、子どもがショックを受けるような情報を誤魔化したり加工したりするのです。
こうした「現実の加工」を子どもへの「優しさ」と考えるのは、周囲の大人が抱えている「子どもを信じることができない弱さ」への言い訳です。


「褒めて伸ばす」以前に教育の最も大事なこと。
子育ての究極の目的は自立するということ。
そのためには、親が自律をしなくてはいけないということ。

同じ「じりつ」だけど、意味が違う。
自立→自分だけで物事を行うこと
自律→自分でコントロールすること

ネガティブなことがあっても子ども自身が乗り越えていかなくてはいけない。
親は、子どもを信じてあげなくてはいけない。

親は子どもに自分が体験したような苦労を味あわせたくないと思う。
でも、それが行き過ぎてしまうと、「修学旅行がつまらない」というようなクレームになる。
そんなことを言っていて自立した大人になるのだろうか?
自分が嫌なことは親に言い、環境だけを変えさせるような人間になる。
嫌なことからは逃げ、人と上手に関わることができなくなる。

最終的には社会の中で人とうまくやっていける人になってほしい。
そのためには、全てが自分の思い通りになるという考えは早々に捨てるようにすべき。
社会で通用するように、しなやかに生きていけるよう時には失敗し、悩み、考える中からその子どもならではの解決方法を見つけだすようにすべきだと思う。

親は、変な先回りをしない。
もっと、子どもの自己解決能力を信じるべき。
そして、悩みに乗ってあげる。
親の今までの人生の経験を踏まえ、どのようにすればよいか助言をする。
助言はするが、どのようにするのかは子どもに決定させる。
自立した人づくりを目指して。
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「福岡は今や全国でも珍しい県立王国。生徒をいかにそのレベルにあった県立校に進学させるかが、つねに中学教員の念頭にあって、細かく調整を図ったうえで受験させています。
その結果、調査書だけでなく、願書も中学側が高校に提出するという習慣がずっと続いているんです」
「他県では願書をネット受付しているご時世にもかかわらず、頑ななんです。福岡では、私立高さえ中学からまとめて願書を受け付けます。受験生個人の出願のみ受け付けるのは、全国的な進学校の久留米大附設だけです」

一番大事にしなくてはいけないのは、受験生。
受験生のための仕組みになっているか考えることが必要。
もちろん、願書出し忘れはいけない。
でも、何か救済策がなかったのだろうか?

そして、個人の出願を受け付けないのがよくわからない。
受験生の意思で受けているのだから、受験生が直接出願できるようにすればよいのでは?
高校は、中学校でまとめてくれれば楽だと思っているのだろうか?

生徒がどこを受験するのかは、その生徒の意思。
中学教員の配慮も必要なのだろうか?
もう、自分たちで考えられる時期だと思うけれども。

受験は受験生ファーストであるべきだと思う。
しかし、実際はそうではないのかなと思わせる出来事だった。
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ほぼ同じ時期に報道された2つの給食がらみの問題。

福岡県みやま市の小学校で1年生の男子児童が給食の「うずらの卵」をのどに詰まらせて死亡する痛ましい事故が起きた。文科省が注意喚起の通知を出したほか、市教育委員会はうずらの卵を当面使わない考えを示し、各地でも「使用控え」の気配がみられる。


原告は当時の校長や教員らも提訴したが和解が成立し、被告は県のみとなっていた。母香織さん(54)は記者会見で「先生が見守るべきだったと認めてもらえてよかった」と語った。

給食を詰まらせて人が亡くなった。
もう、同じようなことは2度と起こしてはならない。
では、どうするか?

うずらの卵は給食で使わないようにするのか?
すべてのものを危険だとして、除去するのは問題だろう。
うずらのたまご以外にも窒息事故につながる食品はある。
それをすべて除去するのか?
窒息しないように、すべて小さく切るのか?
生産物については、給食で使わないことで生産者の息の根を止めてしまうこともある。

確実に教職員が見守る体制を作るようにするのか?
それらができる状態なのか?
給食の時間、一人一人の子どもをしっかりと見守ることができる体制か?
見守るのに相応しい人数がいるのか?
万が一の時に適切に対処できるように研修をしているのか?
特別支援学校で通常の学校よりも人数はいても、難しいかもしれない。

まずは、自分の子の命が大事。
自分の命は自分で守ることをしっかりと教えていかなくてはいけない。
窒息を防ぐために、気を付ける食材はなんだろう?
その食材を食べるときにどうすればいい?
切って小さくする?
口の中でしっかりと噛む?
何回くらい口の中で噛めば飲み込める?
食べ方についてしっかりと確認すること。

そして、行儀よく食べること。
落ち着いて、ゆっくり、しっかりと噛むこと。
いつもそういう雰囲気で食べるようにすること。

まずは、親一人一人が毎日の食卓から見直すことが必要だと思う。
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昔に比べて、遊びと学びの境があいまいになってきている感じがする。
昔だったら、そんなものは遊びだと考えられていたことがある。
でも、よく考えてみると、その遊びに教育的な価値があることがあったりする。

漫画は、既に遊びだけではない。
子どもが世の中の出来事を理解するのには、絵の視覚的情報が有効的。
歴史を理解するには歴史漫画を読むのがいい。
自分も漫画から歴史に興味をもった。

アニメから本に親しむこともある。
Eテレでやっている子供向けの番組の絵本もある。
鬼滅の刃のノベライズもある。
自分の好きなことから本に興味を持てるようになってきている。
自分の好きなことなら何でもいい。
本を読む習慣が身についていってほしい。


学校でガンプラを作る。
自分が子どもの頃なら想像もできなかったこと。
プラモデル授業『ガンダムアカデミア』
プラモデルで「ものづくり」を学ぶ。

小学校でのプログラミング教育。
まさか学校でプログラミングができるなんて思いもしなかった。
一人一台コンピュータが支給され、プログラミングができる。
ゲームも作ることができる。

もちろん、遊びの中に教育的な価値が含まれている。
だから、子どもたちは夢中になって取り組む。
好きなことは、何よりも強い。

これからはもっともっと学ぶことが楽しくなっていくのではないだろうか?
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gandam

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