伊豆の中心で、思いをさけぶ

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カテゴリ: 子ども

少子化には、いろいろな要因が含まれている。
大人の働き方や社会のあり方、多様性…

昔よりも快適な生活をしている現在の人々。
今の時代ならではの大変なことはある。
昔よりも便利になり、娯楽も増え、生活しやすくなった面もある。
それによって失われてしまったものがたくさんある。

今がどんなに楽しく充実しても、いつかは終わる。
人は誰しも歳をとり、老いていく。
その時に自分を支えていくのは、社会と自分たちより若い人。
将来のことを考えれば、やはり子どもって大事だと思う。

年老いて今までのように働けない。
病気になった時、どうするか。
人は一人では生きていけないが、自分を支えてくれる人はいるのだろうか?

社会すべてのことが、目先のことだけを考えていて、未来のことを考えていない。
過去は変えられないが、未来は変えられる。
将来の社会のことを考えるのなら、高齢者よりも子どもに投資することのほうが創造的。
中高年に投資するよりも、これから社会を担っていく若者に投資するほうが創造的。
若者は、就職、結婚、子育てと短い期間に人生を左右する重要な出来事が集中している。
中高年になれば…大変なことはあるが、基本、そこまで人生を左右されない。かも?

だから、結婚したい若者に対する支援、子どもを欲しい夫婦に対する支援、子育てをする人に対する支援を充実させるようにしてほしい。
これは、政治の問題だけではなく、社会の問題。
金銭的支援だけでなく、勤務先でも結婚、子育てに対する柔軟な支援ができるように願っている。
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近年、「子持ち様」に対する批判がSNSで散見されるようになってきました。「子持ち様」とは、子どもを持つことを理由にマナー違反があったり、周囲との軋轢を生みだしてしまう親のことを指すネットスラングです。昨年、子どもの発熱で休んだ母親の仕事を負担することになった同僚の投稿がきっかけで、Xのトレンドにもなりました。「子持ち様が頻繁に休んでずるい」というのです。

思うのは自由だけど、口にするのは残念。
確かに仕事をやっているとそう思うことはある。
でも、それは仕方がないこと。
子どもを育てるというのは、非常に大変。
子どもを育てた経験のない大人でも、自分だって育てられた。
親が子育てを頑張ったことについての理解も不足しているのだろう。

巡り巡ってその子どもに自分が世話になるかもしれない。
老後の年金は、その子どもたちの稼いだお金がもとになっているのかもしれない。
ただ、目先だけのことで「ずるい」というのは、どうなのだろう?

今の世の中、いろいろな立場の人がいるから、理解するのが大切。
もちろん、納得できないこともあるだろう。
負担が過重にならないよう、勤務先が手を尽くすべきことだと思う。
当たり前だが、世話になった人には感謝の気持ちを示すのは当然のことだけど。

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無自覚のうちに「ネガティブなところを示すとショックを受けて立ち直れないだろう」「この子にはそんなパワーはないだろう」と子どもの力を低く見積もっているからこそ、子どもがショックを受けるような情報を誤魔化したり加工したりするのです。
こうした「現実の加工」を子どもへの「優しさ」と考えるのは、周囲の大人が抱えている「子どもを信じることができない弱さ」への言い訳です。


「褒めて伸ばす」以前に教育の最も大事なこと。
子育ての究極の目的は自立するということ。
そのためには、親が自律をしなくてはいけないということ。

同じ「じりつ」だけど、意味が違う。
自立→自分だけで物事を行うこと
自律→自分でコントロールすること

ネガティブなことがあっても子ども自身が乗り越えていかなくてはいけない。
親は、子どもを信じてあげなくてはいけない。

親は子どもに自分が体験したような苦労を味あわせたくないと思う。
でも、それが行き過ぎてしまうと、「修学旅行がつまらない」というようなクレームになる。
そんなことを言っていて自立した大人になるのだろうか?
自分が嫌なことは親に言い、環境だけを変えさせるような人間になる。
嫌なことからは逃げ、人と上手に関わることができなくなる。

最終的には社会の中で人とうまくやっていける人になってほしい。
そのためには、全てが自分の思い通りになるという考えは早々に捨てるようにすべき。
社会で通用するように、しなやかに生きていけるよう時には失敗し、悩み、考える中からその子どもならではの解決方法を見つけだすようにすべきだと思う。

親は、変な先回りをしない。
もっと、子どもの自己解決能力を信じるべき。
そして、悩みに乗ってあげる。
親の今までの人生の経験を踏まえ、どのようにすればよいか助言をする。
助言はするが、どのようにするのかは子どもに決定させる。
自立した人づくりを目指して。
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教育現場でのおかしな校則は、ここ10年ほどの間にも繰り返し話題になっている。
スカートの丈や髪型の指定は定番だが、寒い時期でもコートやマフラー、タイツなどの着用が認められていなかったり、下着の色の確認まで行ったり……といったケースは「人権侵害では」という声がある。

何の目的のためにその校則があるかをもう一度考えたほうがいい。
そして、子どもに対する人権感覚を磨いたほうがよい。
難しいことではない。
自分が子供だったら、そんな校則があっていやではないの?
いやだったらやらないだろう。
子どものことを何もできないと思っているだろうか?
子どもは正しい判断ができないと思っているのだろうか?
あまりにも子どもたちを馬鹿にしすぎているように感じる。

でも、それが問題視されてきた今、正常に戻りつつあるのだと思う。
昔は子どもがたくさんいた。
管理しきれなかった。
それを抑えるのに校則を作り、無理やり抑え込んできた。

しかし、今は違う。
子どもの数は少なくなってしまった。
未来の社会を担う貴重な人材たちだと思う。
それを昔のやり方でやっていっていいのだろうか?


子どもの権利を守るため親は助言や支援する役割を担い、国は必要に応じて親を支援する義務がある。大谷弁護士は「誤解されがちだが、子どもは権利の主体ではあるけれども、大人と同じような自己決定が認められているわけではない。だからこそ、自由に意見表明し、反映される権利が保障されなくてはならない」と説明する。

もっと子どものことを考えよう。
学校だけでなく、家庭、社会全体で。
子どものことを考えるのは、未来のことを考えること。
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埼玉県の自民党県議団が県議会に提出した虐待禁止条例改正案がSNS(ネット交流サービス)上などで波紋を呼んでいる。小学3年生以下の子供を自宅などに残して外出したり、公園などに放置したりすることを禁じた「留守番禁止」「放置禁止」の規定に対し、子育て世代とみられる人たちなどから「現実的ではない」などと疑問の声が噴出している。

子どもを放置した事件があっての対応らしい。
しかし、一番人手もお金もかからない、あまりにも安直な方法。
ルールを作れさえすればよいわけではないだろう。

問題の根底にあるものや背景が全く分かっていない議員が、思い付きで考えた条例案だろう。
当事者の下に行って話を聞いたり、足で現実の情報を得たりする努力をしているのだろうか?

でも、こうやってSNSで問題になれば、実態が分かっていいのかもしれない。
社会の中には、こういう納得できないような問題がいろいろある。
小さな声でも、SNSで一人一人が発信していくことが大事だと思う。
デモ行進をするよりも、SNSを使った方が効率的な意見の発信方法ではないだろうか?
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saitama


――人口減で過疎化がより進めば、地方が滅びてしまいませんか。

藻谷:人口減の理由は少子化です。だから、むしろ過疎自治体の方が生き残る確率は高いと思います。こんなデータがあります。2020年までの5年間に0〜4歳の乳幼児人口が増えた過疎自治体は100以上ありました。逆に首都圏1都3県は、地方から親世代となる若者を集め続けたにもかかわらず5%減です。出生率の低い大都市圏の日本人は、生物集団として見ればすでに絶滅に向かう状態です。3人以上産んでも普通に暮らせる職住環境がないと、人口は維持できません。東京ではとても無理です。でも人口が数百人規模の過疎集落なら可能かもしれない。それにコロナ禍のような状況下では、密集度が低い田舎の方が感染リスクが低く、安全・安心な場所でした。

地方は、これから生き残ることができるのか?
地方の方が、子どもを安全・安心に育てやすいかもしれない。
けれども、親世代は大都市圏に集まっていく。
地方、ましてや過疎自治体では、仕事がない。
今までとは違ってリモートを使った仕事がもっと増えれば変わるかもしれないが…
やはり、大都市圏の方が便利だ。
最終的には、大都市圏に人が飲まれて地方は衰退。
その後、大都市圏も人が減り、日本人絶滅に向かうような気がする。

でも、地方で高齢者の数が減り、その予算が子どもたちに回っていくようになると希望がある。
子どもたちのために手厚い援助が行き渡るようになれば良いと思う。
地方では、子どもをいかに地域に残ってもらうように援助をすることだ必要だろう。
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親を悩ませる夏休みの宿題のど定番“読書感想文”が必須課題から姿を消しつつある。親はホッとする半面、読書離れ、作文力低下を懸念する声もあがっている。


読書感想文。
嫌な夏休みの宿題。
書き方が分からない。
分からないのに宿題でやらせるのが無理。
親だって、どうやって書かせればよいか分からない。
家庭で親子のケンカになったり、親の代筆になったりするのならやめるべき。

でも、読書感想文が本当に読書を勧めるためになっていたのか?
作文力向上に効果があったのか?
それは、疑問だと思う。


歴史の流れを簡単にまとめると、1980年代から1990年代までにかけてはいわゆる「本離れ」が進み、1990年代末に平均読書冊数と不読率は史上最悪の数字となっている。
しかし、2000年代にはどちらもV字回復を遂げ、2010年代になると平均読書冊数は小学生は史上最高を更新、中学生は微増傾向を続け、高校生はほぼ横ばいだが、過去と比べて「本離れが進行している」とは言えない。

少なくとも本離れにはつながっていない。
読書感想文に全く意味がないわけではない。
教育としてやることには、何かしら意味がある。
でも、あまり効果がなく、苦労が多いものはやめた方が良い。
毎年やっているからやるのではなく、
ある団体の既得権益を守るために続けるのではなく…
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dokushokannsoubun 

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